玉城デニーは本名ではない!名前の由来や国籍は?人気の理由も
2018年9月30日に投開票された沖縄県知事選挙。
辺野古移設問題などで、沖縄の今後の動向が気になるという方も多く、日本中で注目が集まる選挙となりました。
今回の選挙を見事制したのは以前衆院議員を務めたこともある玉城デニー氏。
ライバルだった佐喜眞淳氏に11%以上もの得票率の差をつけ、見事沖縄県知事の座を勝ち取りました。
今回は新たに沖縄県知事に就任することとなった玉城デニー氏について、プロフィールや経歴、本名や国籍、人気の理由などについてまとめていきたいと思います。
玉城デニーのプロフィール・経歴
【名前】 玉城デニー(たまき デニー)
【生年月日】 1959年10月13日(58歳)
【出生地】 沖縄県与那城村(現・うるま市)
【出身校】 上智社会福祉専門学校
【前職】 沖縄市議会議員
【所属政党】 自由党
【公式サイト】https://hiyamikachiumanchu.com/
玉城デニーさんは沖縄県与那城村で生まれ、
与那城村教育区立与那城小学校 → 勝連町立与勝第二中学校 → 沖縄県立前原高等学校 → 上智社会福祉専門学校(福祉主事任用課程)
と進学。
専門学校卒業後は福祉関係の仕事やインテリア内装業、音響関係の会社などの経歴を経て、30歳の時にタレントとして活躍し始めました。
タレントとしては、「ふれ愛パレット」や「OKINAWAミュージック・タペストリー」などの沖縄のラジオ番組のパーソナリティを務めたり、イベント司会者として活躍するなどして、沖縄県民から大きな支持を集めました。
その後、2001年12月に関係者から沖縄市長選挙への立候補を促され、この情報をかぎつけた新聞社が朝刊に「玉城デニー、沖縄市長選挙出馬へ」と書かれることに。
2002年5月には2002年9月の沖縄市議会議員選挙への立候補を決意し、史上最多票でトップ当選を果たしました。
2005年8月には衆議院議員選挙に立候補するために、任期途中で沖縄市長を辞職。
その年の9月に行われた衆院選に立候補したものの、落選することになってしまいました。
しかし、2009年8月に行われた衆院選には見事勝利し、初当選を果たしました。
その後も落選したり当選したり、政党を変えたりなどはありましたが、政治家としての活躍を続け、今に至るといったところです。
玉城デニーは本名ではない!
玉城デニーというインパクトのある名前ですが、実は玉城デニーは本名ではありません。
玉城デニーさんの本名は玉城 康裕(たまき やすひろ)と言います。
玉城デニーさんの父親は沖縄の米軍基地に駐留していた米兵で、母親は沖縄県国頭郡の伊江村出身。
つまり、玉城デニーさんはアメリカ人と日本人のハーフということになりますね。
玉城デニーさんは生まれたときは「デニス(Dennis)」という名前でしたが、アメリカに帰国してしまった父親を母親とデニーさんが追いかけることはなかったため、小学校4年生の時に家庭裁判所に申し出て「康裕(やすひろ)」に名前を変えたんだそうです。
元々はアメリカに渡ることを考えていたことからデニスと名付けたようですが、その予定が変わり、日本で生きていくことになったので日本人らしい名前に変えたってことですね。
あまり詳しくは語られていませんでしたが、要するに父親と母親の夫婦仲があまり上手くいっていなかったということみたいですね。
玉城デニーの名前の由来は?
玉城デニーさんは沖縄では元々、「ふれ愛パレット」や「OKINAWAミュージック・タペストリー」などのラジオパーソナリティを勤めていたこともあり、政治家というよりもラジオDJのデニーとして有名でした。
タレントとしての認知度が高く、本名の康裕よりもデニー名義の方が沖縄の人に知られていたということもあって、選挙では玉城デニーという名前を使うことになったんだそうです。
ちなみにデニーというのは、玉城デニーさんの子供の頃からの愛称だったんだとか。
デニス→デニーって感じ。
今の本名は「康裕」ですが、元々の名前であった「デニス」に由来して、玉城デニーという名前を名乗っているようですね。
玉城デニーの国籍は?
玉城デニーさんの国籍はどうなっているのかというと、
玉城デニーさんの出生地は沖縄県与那城村であり、ずっと日本に住んでいたことからも、生まれたときから現在に至るまで日本国籍になっていると考えられます。
アメリカ人と日本人のハーフであることは間違いないですが、実際の本名が康裕であることと、沖縄で生まれてそれ以来ずっと日本で住んでいたことからも、日本国籍であることは間違いないでしょう。
玉城デニーの人気の理由
沖縄県知事選のライバルである佐喜眞淳さんに得票率12%もの差をつけ、沖縄県知事選に見事勝利した玉城デニーさんの沖縄での人気の理由についてもまとめていきたいと思います。
1、タレントとしての知名度の高さ
先ほどお話したように、玉城デニーさんは沖縄のラジオ番組でパーソナリティを務めていたこともあり、沖縄での知名度はかなり高いようです。
また、ラジオの中でも琉球語(沖縄の言葉)を上手く使っていたこともあり、沖縄の高齢者からの支持も厚かったんだとか。
沖縄全体での知名度が高く、高齢者の支持も厚い。
過去のタレントとしての活躍が選挙に好影響を与えたことは間違いないでしょう。
東国原英夫や西川きよし、森田健作など、タレントから政治家に上手く転身した人も少なくありませんし、タレント→政治家というのは、0からスタートするよりも有利に働く部分も多いんじゃないでしょうか。
2、ライバル・佐喜眞淳さんの失態
選挙に勝利した一因として、玉城デニーさんが単に人気があったというだけでなく、ライバル・佐喜眞淳さんの失態も大きく関わっていると言われています。
まず、女性票の差。
玉城デニーさんはライバルである佐喜眞淳さんに比べ、女性票が多かったことも報じられています。
この女性票の差は、9月5日に行われた候補者による公開討論会が一つの原因に。
女性についての政策について聞かれた際、佐喜眞氏が「女性の質の向上」と話したことがインターネット上で炎上。
「女性が男性よりも劣っていると言いたいのか」と、多くの批判を浴びることになりました。
この失言により、佐喜眞淳さんは女性有権者の反感を買うこととなり、結果的に玉城デニーさんの女性票が伸びたというわけです。
次に、応援演説の逆効果。
佐喜眞淳さんの応援演説のために自民党の小泉新次郎氏や、菅義偉氏などの著名な政治家たちがかけてつけてくれたのですが、これが逆効果に。
かけつけた政治家が沖縄での応援演説で「沖縄の人はよく戦ってくれた」と、戦争中の話を持ち出したことが沖縄の人の反感を買いました。
沖縄の人は本土の人に玉砕させられたと思っているため、本土の人間がこういった愛国精神の話を持ち出すと、大きな反発をもらってしまうのです。
沖縄に対する気遣いのなさ・理解の低さが招いた失態といえるかもしれません。
また、著名な政治家の応援演説も沖縄ではあまり人を集められず、実際には大した好影響を残せませんでした。
沖縄県に自民党を嫌悪している人が多いというのもこの結果を招いた一因となっているようです。
全体的に佐喜眞淳陣営の応援演説が良い方向に影響しなかったことも玉城デニー人気を高めた一つの理由といえるでしょう。
3、前知事である翁長知事のお墨付き
前沖縄知事である翁長知事のお墨付きを玉城デニーさんがもらっていたことも大きかったと言われています。
前知事は当然沖縄の人の支持を得て知事になったわけですから、その人が玉城デニーを次期知事として指名しているのならば・・・と思う方も少なくはないでしょう。
また政策に対する姿勢としても、普天間・辺野古の基地を反対する姿勢を持っていた前知事と同じ姿勢を引き継ぐ玉城デニーさんの人気が高まったというのもわからないではない話です。
4、玉城デニー派の若年層の勢い
玉城デニー派の協力者には若い人も多く、みんな熱心に選挙に取り組んでいた姿勢が沖縄の人の心を打ったとも言われています。
若い人が必死になって盛り立てている姿を見てしまうと、今後の沖縄への期待をはせてしまうものでしょう。
また、翁長知事の息子の雄治(たけはる)くんが青年局長を務め、積極的にSNSなどでネット選挙を盛り上げたことも玉城デニー派の勢いをさらに大きくさせた一因となったようです。
知名度の高さ、ライバルの低迷、前知事からのお墨付き、政策に対する姿勢、若手の勢い・・・これら要因が積み重なり、玉城デニー氏の得票率55.07%という勝利に繋がったということですね。
今回の記事のまとめ
今回は沖縄県知事選に勝利し、今後の沖縄を引っ張っていくこととなった玉城デニーさんのプロフィールや経歴、本名・国籍、人気の理由などについてまとめさせていただきました。
ハーフっぽい顔立ちと名前の玉城デニーさん、知らなかった人にとっては結構インパクトのある字面ですよね。
とはいえ、根っからの沖縄県民・日本人なので、そこは安心してください。
玉城デニーさんの人気の理由はたくさんありますが、知名度の高さと基地移設に対する政策の方向性が結局のところ大きかったんじゃないかなーとは個人的には思っています。
何はともあれ、国際問題にも繋がる重要な立ち位置を担っている沖縄県ですから、日本人としては良い方向に引っ張ってくれることに期待したいところですね。
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